だんじく様

    ここから約2.2kmです。
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    現地の説明板より転載しました。
    正保2年(1645)平戸藩は押役を置き、その下に宗門目付、下目付、宗門改め役を置いて切支丹の取り締まりにあたらせた。 この頃、捕吏に追われた弥市兵衛と妻マリア、その子ジュアンは、この断崖の下のだんじく(だん竹)の繁みに隠れていたが子ジュアンが磯に遊びに出たところを 海上から役人に発見され殉教した。以来、海上からのお詣りは忌みきらわれている。 いまもなお旧1月16日の命日には信者が集まり、信仰を守りつつ殉教していった人々をしのび祈りを捧げている。

       アー しばた山 しばた山ナーアー
       今は涙の谷なるやナー
       先はナー 助かる道であるぞやナーアー

    殉教の悲しみと、神の救いを希う心情のほとばしるしみじみとした歌である。
    この歌は昭和52年7月立教大学の皆川達夫教授によって紹介され、東京国立劇場で生月かくれキリシタン歌オラショと共に発表された。
    (生月町教育委員会)

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    詳細情報

     サンセットウェイ(生月農免農道)から脇道に約300m入ると行き止まりになっています。 そこに車を置いて急な坂道を約10分下ると海岸に到着します。 そこに生月島の隠れキリシタンの聖地となっている「だんじく様」があります。
    「だんじく様」の場所は、木が覆いかぶさりトンネルのようになっており、中には祠がありました。 すぐそばに小さな川があり、チロチロと水の流れる音がします。水があるので隠れるには良い場所だったと思います。

     それにしても海岸で子供が遊んでいたのが見つかるとは不運でしたね。子供はじっとしていないし、事柄がよく理解できていなかっただろうし・・・・・ しかし、可哀相すぎる話ですね。
    この「だんじく様」の「だんじく」という名前は変わっていますが、島に自生する「ダン竹」という竹の名前のようです

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